ゆとりタイムス

ゆとり世代の筆者が日本や日本を取り巻く世界のことを書きます。

右とか左とかよりも個人の意見を大切にしたい

こんにちは。寒い日が続きますね。昨年末にこのブログを始めてこれが4本目の記事です。スマホで通勤時間に文字を打っているのでスローペースです。このブログは政治的な事柄をテーマにすることが多いのですが、政治関連の話をすると必ず出てくる論があります。それは、「この人は右なのか左なのか」ということです。右はもちろん右翼の略称でで左は左翼ですね。世の中の政治に関するニュースや意見はほとんどこのカテゴリーに分けられております。しかし、これって本当に重要なことなのでしょうか?むしろ、右や左に区別することが対話を遠ざけることに繋がるのではないでしょうか。

 

大学の頃のとある授業で、日本の主要新聞を左や右で分けると、

産経→読売→ 朝日→毎日→東京

という順で右から左に大別されると習いました。読売と朝日の間に一線があり右と左を区切っていると習った記憶があります。この区分けは間違っておりませんし、多くの人が知っていることです。ですが、新聞の意見が右左に別れているといってその読者もきれいスッキリ分かれるというわけではないでしょう。もちろん、自分の意見に似た意見をもつ新聞を読むのは誰もがわかることでしょう。それだからといって、特定の新聞の読者を一まとめにして非難するのはおかしなことなのです。

 

選挙なんかもそうで、間接民主主義の日本では自分の意見に比較的近い政党に票を投じることになります。これが変に解釈されて○○党を支持してる人は○○という考えの持ち主だとか、△△党を支持してる人は△△の宗教を崇拝していると、表面的な判断が下されやすいです。他にも原発を稼働すべき人は右で反対の人は左という分類がなされております。私はこのような、人の中身を知る前に表面的な意見表明で判断することは良くないことだと考えています。結果的にその人が右とか左に判断されるような考えの持ち主だとしても個別の問題には様々なアプローチがあるはずだからです。

 

至極当たり前なことですが、人の数だけ考え方があります。それをキレイに二分類することは本来、不可能なはずなのです。例えば、私などはあまりアメリカに良いイメージを持たないですし、隣国と仲良くすべきだと常々考えておりますし、原発は持つべきじゃないと思います。一見、これは左翼の考え方だと多くの人は思うのではないでしょうか?ですが、実際には天皇陛下をとても敬っていたり、韓国の人々が抱く政治観を批判し韓国人学生から右翼認定されたりした過去も。そもそも、外交的にはロシアといかに距離を縮めるべきかと考えております。必ずしも左の人と意見が一緒なわけではありません。むしろ、左翼だなんて認定されたら嫌な気分になります。私は私であり、自分の意見をしっかりと持っているつもりだからです。

 

これからの多様性と発信力がカギとなる時代にいつまでも右翼や左翼という旧態依然の価値観を唱えるのはいかがなものでしょうか。そんなことよりも、個別の問題を周りの人たちと自由に論じて意見を昇華させることのほうが大切です。そういう意味では、人の意見が右とか左とかを考える前に、問題意識を抱くことのほうが遥かに大切です。今、日本を取り巻く様々な問題が起きております。それに対して関心をもつことが第一歩です。その上で自分なりに意見を持ち、誰かと対話をすることが極めて大事でしょう。もちろん、意見が真っ向から食い違うこともあります。しかし、それも対話の醍醐味です。対話は弁証法に通じますので対話を重ねるうちに意見がより洗練されます。

 

これからの日本を担うのは若い人たちです。若者はまず無関心からいち早く脱却しないといけません。未来の主役ですから。そして、周りの大人たちの意見に振り回されず、しっかり自分達の意見を発信するべきです。中年以上の世代の人々も同じ意見同士で対話をしたり異なる意見を持つ人と対話をして、日本の未来を本気で考えないといけません。

 

私的には右とか左というカテゴリー分けよりも「この国をどうやってより良い国にしていくか」という信念をしっかり持っているか否かを気にするべきです。より良い国やより良い社会を築こうとするときに意見が対立するのは当たり前です。でも、そこは対話を通じて深め合えばそれでよいのです。過去の知識の積み重ねを完全に踏襲することなく、参考にしながら自分の意見を確立する人が一人でも増えればいいなと思うこの頃です。